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【出張講話】霧多布中学校で防災講話をしました!

皆さんこんにちは、久遠塾の柴澤です。
先日、予告で「霧多布中学校で防災講話を実施へ」をnoteに掲載しました。

そして、実際に12月5日(火)に霧多布中学校で防災講話を実施したことの報告をnoteにまとめました。

なぜ、霧多布中学校で防災講話を?

実は、ご依頼をいただいたのは今年8月のお盆が終わった頃でした。釧路新聞(2023年8月18日)の1面に私たち(柴澤・中川)の防災の取り組みについてインタビューを受けた記事が掲載されていました。それを読んでくれた沼田卓二校長先生は「ぜひ、霧多布中で防災講話をやってほしい!」と直接塾にご依頼をいただき講師役として講話をやることになりました。

釧路新聞(2023年8月18日(金)1面)

霧多布中学校『防災講話』当日

12月5日(火)の4限に『防災講話』を実施しました。
霧多布中学校生徒や先生方、そして浜中町内の地域住民の皆様がこの講話に参加していただきました。

霧多布中学校の玄関に防災講話のポスターが貼ってありました

生徒に考えてもらうこと・思い出してほしいこと

最初は私たちの自己紹介と久遠塾の紹介をした後「防災Q&A」をしました。大地震が発生した時「車を運転中の場合」と「スーパーやデパートにいる場合」について、各設問ごとに考えてもらいました。

次に、「北海道胆振東部地震」と「東日本大震災」について覚えているかどうか聞いてみました。胆振東部地震は生徒全員が覚えていましたが、東日本大震災は覚えている生徒は1人もいませんでした。約12年前の震災で生徒が当時0〜2歳の時に起きた震災なので流石に記憶はないと想定はしていました。

私たちの体験談(東日本大震災)

この防災講話のメインとなる「体験談」。中川は岩手県一関市、柴澤は宮城県石巻市で経験したことをそれぞれ話しました。
震災発生当日とその後の生活について話したり、地震の揺れと大津波の映像を見せたりするなど「いかに東日本大震災が大変な状況だったのか」を生徒に説明しました。

最後に…

私たちの体験談を話した後、震災を経験した身として「これを備えとけば…」を『物』と『気持ち』について取り上げました。最後にまとめとして「北海道でも近いうちに巨大地震が来ることの覚悟」、「私たちの体験談を1つでも覚えてもらって少しずつ防災意識を高めてほしい」、「二度と東日本大震災のような被害状況(特に私たちの周りで起きたこと)を起こさないでほしい」という願いを込めて講話を終了しました。

生徒会長から御礼のお言葉をいただきました

防災講話終了後…

防災講話終了後、校長室に戻り一息ついている時に生徒1人が質問しに来てくれました。これには驚きでした。その子は防災についてとても関心があり、今回の防災講話について本当に勉強になったと言ってくれました。
さらに、防災講話を受けてのアンケートで以下のような感想をいただきました。

「実際の体験はなかなか聞けるものじゃないからよかったです。」
「災害の危険さや悲惨さを再確認することができました。」
「霧多布は浜中町の中でも沿岸に面しているので、地震の後に津波が来ると考えていち早く逃げる、車では逃げない。これらのことを確実に実行したいと思います。貴重なお話をありがとうございました。」
…などなど。

まとめ

今回の講話(講話会)は他の公営塾では前例のないことに、私たち2人が挑戦しました。霧多布中学校で防災講話を実施できたのは、霧多布中学校の沼田校長先生をはじめ、教職員の皆様のご協力のおかげだと思っています。また、参加していただいた生徒・地域住民の皆様にも感謝です。本当にありがとうございました。これをきっかけに、また他地域からご依頼がありましたら引き受けようと考えています。
(柴澤 大夢)

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